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先生ヒストリー

# 第六景 浪人した時の経験が非常に大きかった。

2020.04.09

合田先生の、今に至るまでの経緯 を聴かせていただきました!
合田先生の「授業百景」はこちらから。


合田洋(ごうだ・ひろし)先生
応用化学科

(つづき) …授業づくりで工夫しているところって、大体そんな感じです。でね、なぜそういう風になったか、経緯のほうに行きますね。

浪人した時の経験が非常に大きかった。

 大学入る前に、というか大学受験に失敗したんです。浪人して予備校に行ったんですね。それが僕は、非常に大きかったんです。もともと、学校の先生の授業は聞いてたけど、予備校は行ったことがなかったんです。
 まず、話し方が違ったんですよ。学校の先生はどちらかと言うと、さっき言った文語調のような、本を読むような感じで話すんですよ。でも予備校の先生は全然そうではなくて。それから、飽きさせないように何か工夫していて、それを具体的に例を挙げるって難しいんですけど…時には時事ネタを入れたりして。まあ今やってる授業でもそういう風に話すようにしてますね。それをきっかけにそういう風になりました。

 大学受かって、その予備校のチューターになったんですよ。そこで、2年間やったんです。それがまた、すごい勉強になったんです。なぜ勉強になったかっていうと、特に私立高校ってカラーがあって、チューターやっている間に、少し話すとどこの高校の人か分かるようになったんです。
 すると、教えるときに、この学校の人は大体こういう雰囲気の人が多いから、質問に来た時はこういう風に教えるといい、とか学校ごとに対応ができるんですよ。あと進学校はね、頑張りすぎる人が多くて。だから、あんまりプレッシャーを与えないように、宿題出さないようにとか気を付けてたんです。
―この子は既に自主的にやってるだろうな、とかっていうことですかね? そうです。あとは、相談にのって、いろんな先生の話もするじゃないですか。先生の授業に対して、こういうところはこういう風に思うのかとかね、分かるんです。一言では言えないですが。長い間経験してきたんでね。

新米時代の試行錯誤

 僕は大阪大学出身(博士課程)なんですが、最初に就職したのは、東京理科大だったんです。するとね、また全然違うんです。まず簡単なことで言うと、1クラスの学生の人数が違った。僕の育った大阪大学の数学科は40~50人ぐらいだったんですよ。だから、今の農工大の工学部の小さい学科と同じような感じだったんです。で、理科大に行ったら数学科の1学年が120人だったんです。
―わあ(゜゜) これみんなそうだと思うんですけど、教育を自分がするというときに、やっぱり自分の受けた教育に影響を受けるんです。それをそのまま実践しようとするんです。僕も最初そうで、アンケートの結果が苦情の嵐だった!
 それで、思い切って、変えたんです。当時まだ若かったし、変える勇気っていうのがすごい要りました。クラスの人数や雰囲気で対応するために、思い切ってやらないといけないな、ってその時すごく感じました。
―学生との年もそんなに離れてない頃ですもんね。 そう。28歳で就職したんです。で、学生が18歳とかで、お兄さんみたいな感じですよね。

 演習の授業で、大阪大学にいた時は40、50人ぐらいを半分に分けて20数人で、問題を配って、発表してもらって、それに対してみんなで議論するっていうような形式だったんです。結局、先生と発表者の授業みたいになりますけども、まあでも建前はそのような授業をしていると。
  理科大も120人を半分に分けて60人くらいで一クラスを構成するんですが、60人で同じことをやると崩壊するんです。それが一番大きな失敗で。発表者は挙手制というか、希望者がやる場合もあるし、私が当てる場合もあって。でもいろんなことがあってね、最後は指名制にしました。そして、さらにその後、前で発表してもらったり、討論するっていうのはもうやめました。で、個々に自分の机でやってもらって、解説するっていう方式に変えました。それは予備校形式なんですね。だから、元に戻ったっていうか、浪人時代に戻った感じでやりました。

―理科大にはどれぐらいいらっしゃったんですか? 3年いました。カルチャーショックも、他にもいろいろあって、授業だけじゃなくて、研究面とか、学校運営とか。国立と私立でこんなに違うのかー、と多々ありました。でもこの年になったら分かりますけど、東京理科大は、どっちかっていったら国立寄りなんです。だから、もっと私立私立してるところは、もっと違うと思いますよ。

 その次に神戸大に行ったんですよ。そこは、大阪大学と似た感じで、元に戻ったんですね。だから、また議論し合うような授業になりました。
―それでいい塩梅になったんですね。 ええ。でも議論するってエネルギー使いますよね? なんかね、すーごいエネルギー使いました。当時、30歳ちょいぐらいで学生は20歳とか18歳とかで、若い人はね、エネルギーがすごいんですよ。今はもう全然太刀打ちできないですけどもね。一緒にやってたら疲れてこっちが眠くなっちゃう。
―笑。学生と先生で議論するんですか? まあ、神戸は阪大よりもうちょっと少なかったんですよ、1クラス20人ぐらいだったかな。1対20で学生が前に出て話して、先生とその残りの19人と、発表者とみんなで、そこはどうとか議論するような授業になります。
 国立ってそういう意味で目が行き届くというか。嫌な人は嫌かもしれないですけど、放っておいてほしいみたいなね笑。いるでしょ。いません?ノートを見ないでほしい!とか。
―いるかもしれないです笑。難しいですね笑。

―神戸大にはどれくらいいらっしゃったんですか? それも3年です。でその後、ここに来ました。ここに来て20年、長くなりました。
―いかがでしたか? ほんとに1クラスが小さいな、と思いました。今は改組で少し変わりましたけど。で、その授業づくりとかね、教育に関してはね、もう今言ったような感じで、農工大でもやったんです。

おまけ―インタビュー終了時―

 いいですか?
―はい、一通りはお聞きできたような気がします。 良かった!笑。
―はい笑。ありがとうございました!あと、写真撮ってもいいですか? 僕の?!なんで?!それどうするの?
―載せるかもしれないです。もし、やだなーって感じだったら… あの、若い頃の写真ならいいんですけども、今はもう(´・ω・`)笑。
―そんなことないです! いやちょっと、恥ずかしいんで…
―若いときの写真でも大丈夫です、全然! それ偽物になりますよ笑。
―もちろん、そのままの合田先生もいいと思います! あ、息子の写真はどう?
―いいなら、息子さんの写真でも笑。

若かりし日の合田先生

「授業百景」第六景はいかがでしたでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに!